個人ブログ「ぽよろぐ」の運営者のぽよです!
基本情報
ぽよと申します。
行政書士として個人事務所を運営しながら雑記ブログを書いています。
仮想通貨や投資などのお金に関係する話が大好きです。(関西人特有でしょうか(;・∀・)
他にも映画、アニメ、読書が好きです。
妻と子供が大好きです。
経歴など
『行政書士として個人事務所を運営している』は、あなたから見たらどう見えるのだろう?
資格を持ってて良いなぁ。
独立してやっているってことは社長やん。
こんな風にキラキラした印象で見えるかもしれませんね。
では、独立して個人事務所を運営するまでのお話をします。
病気による絶望と克服
僕は子供の頃から警察官に憧れていたので、就職活動時期には警察官を目指し、志望していました。
しかし、大学4回生の秋に、僕はガンになってしまったのです。
実は父親もガンで他界していて、それも僕が1歳の頃に他界しました。
なので、父親の顔は写真でしか見たことがありません。
ガンになった人が皆そうではないと思いますが、医者から「ガンですね」と言われても、僕はあまり実感がありませんでした。
現実味が無くどこか他人事の様な感じがしてました。
自己防衛の為に、勝手に思考が停止していたのかもしれません。
しかし、ふと我に返ると「あぁ…もう人生終わったな」という思いがよぎりました。
なにせ、腫瘍が14cm×13cmのサイズでしたので、周りの血管やら、臓器にくっついて手術すら出来ないと言われましたから。
当時の彼女(現在の奥さん)は、病気で死ぬかもしれない僕の横に変わらず居てくれて、ずっと支えてくれていました。
この頃からでしょうか、
「死んでいる場合じゃない!」
と思考が変わったのは。
彼女を置いて死ねるか?僕が死んだら誰が彼女を幸せにするんだ?
彼女を独りで悲しませるのは嫌だ!他の誰かじゃなく、僕が幸せにしてやりたい!
そう思いました。
半年以上にも及ぶ入院生活、抗ガン剤治療を経て、ようやく手術が出来るようになりましたが、手術は2回、手術時間は最長7時間半、30センチを超えるメスの痕が今でも残っています。
中でも抗がん剤の副作用は本当につらかった。
あなたは目が覚めて2秒後に吐いた経験がありますか?
正直、自分の為ならここまで頑張れなかった。
2回目の7時間半もの手術を終えて、意識が朦朧としている中、彼女がベッドの横で僕の手を握っていてくれた事は今でも覚えています。
ガンと闘った経験はコチラ
ようやく退院できた僕でしたが、ここで更なる現実を突きつけられることになります。
ガンの経過観察は5年間
ガンという病気は、退院後も経過観察として、定期的に5年間も検査を継続する必要がありました。
まぁ病気が病気なだけに、しかたないですよね。
でもね、退院したら就職しなくちゃいけないんですよ。
憧れだった警察官は、筆記は通っても面接で病気の事を聞かれて、隠す訳にもいかないので正直に話しますよね。
すると、落ちるんですよ。
3年弱の間、頑張りましたが、やっぱりダメでした。
この間、家族にも迷惑を掛けましたし、必死に病気を治したのに、まだ病気が立ちはだかるのかと。
周りの友達は就職をしていて、自分だけが取り残されてダメな人間だと、ひどく落ち込んだ時期もありました。
行政書士という職業を知る
警察官は確かに憧れでしたが、そもそもなぜ警察官に憧れたのか。
それは「正義の味方になりたい」という思いからだった。
正義の味方になりたいなんて、お恥ずかしい話ですみません
アワワ ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿 アワワ
警察官じゃなくても、正義の味方になれる職業は他にもあるんじゃないかと考えるようになり、そして僕が出した結論は、「行政書士」という職業でした。
「法律は知ってる者の味方」
「だったら僕は知らない者の味方になろう」
結論が出てからは、資格取得に向けて猛勉強しました。
決して要領が良い方ではないので、とにかく時間をかけました。
最低でも毎日10時間以上は勉強しました。
勉強開始から半年後に資格を取ることが出来て、行政書士事務所へ就職する事ができたのです。
就職へ
就職はそれなりに大手の行政書士事務所でしたので、毎日大量の案件が舞い込んできました。
朝は8時前から夜は日付が変わる頃まで、毎日働きました。
ひどいときは、徹夜もありました。
就職した会社は、この事務所が初めてでしたので、正社員で働くってこういうものなんだと思っていましたし、独立を見据えて自分が選んで入った業界なので、少しでも経験を積み、知識を吸収したかったこともあり、頑張れたんだと思います。
今思えば、スーパーブラックですよねw
この事務所で約10年ほど働き、その間に結婚し、次にお話する子供が生まれる前に独立しました。
結婚、子供の話
そろそろ、子供が欲しいね。
そう思った時に、またしてもガンが僕の前に立ちはだかりました。
ガンになった時、1回目の手術は睾丸の1つを摘出する手術でした。
その際に、子供が出来なくなり不妊治療を要するようになりました。
僕はどんなに苦労しても自分の責任なので仕方ないですが、今でも妻には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
体外受精と、顕微授精を何回もしました。
妻にとって、相当な負担だったと思います。
そして結婚して9年が経ち、奇跡とも言える確率でしたが、元気な男の子が生まれました。
ようやく授かった子供、本当に涙が出るほど嬉しかったです。
ブログを始めたキッカケ
僕の生きる意味は、半分は妻の為、もう半分は子供の為です。
つまり家族が僕の生きる意味の全てです。
家族が楽しそうにしている、家族で笑い合える、家族とともに過ごす時間が持てる。
その為に何が必要か。
金銭的余裕を得ること。
時間的余裕を得ること。
な~んだ結局は金儲けか。と言われるかもしれません。
お金なんていらないとは言えませんが、
自分の家族に胸を張って見せられるブログを作り、
ブログを見てくれた人に価値を与える。
ブログを見ることによって、知らなかったことを知ってもらう。
そう、これは僕が行政書士を目指した理由と同じなのです。
今でも僕は正義の味方になりたい。
その気持ちからブログを始めました。
あなたの正義の味方になれるなら、こんなに嬉しいことはありません。
最後までプロフィールを読んで下さってありがとうございました。