この記事が当ブログで節目の100記事目になります。
そこで、ブログの方向性とは異なりますが、単純に書きたい事を書くことにしました。
役に立つ記事ではありませんが、それでも良ければ読んでもらえたら嬉しいです。
僕は22歳の時に、「後腹膜腫瘍(こうふくまくしゅよう)です。」と医師に言われました。
「後腹膜腫瘍」はガンです。
後腹膜腫瘍なんて検索する人は珍しいでしょうし、この記事が他の誰かに見られることは無いかもしれません。
それでも、この世でたった1人でも後腹膜腫瘍の経験者の言葉が聞きたいと思ってもらえたら、この記事を書いたことに意味が生まれます。
そう思い、僕の経験を書きます。
今は当時より医学が進んで、治療方法は現在の最新医療とはことなっているでしょう。
しかし、治療を受けるのはいつだって人です。
ガンを宣告されるのも人です。
ガンの治療を通じて得た、僕なりの考え方について書いていきます。
僕の経験があなたの力になれば幸いです。
プロフィールでは詳しく書いてない部分も、今回書いていきます。
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ガンと向き合う勇気
後腹膜腫瘍になり、ガンと宣告されたら恐怖でしかありません。
これからどうやって生きていけば良いのか迷い、自暴自棄にもなりました。
しかし、病気になった人の治療体験や経験を知る事で、今の自分に出来ることにも気付けるはずです。
後腹膜腫瘍になったからといって、確実に亡くなる訳でもありませんし、お医者さんや研究者さんたちのお陰で今の僕は生きていられます。
根本的な話として、病気の完治を目指すなら腫瘍は手術で取るしかないです。
しかし、転移によって後腹膜腫瘍になった場合は転移元を探して、そこを除去してから腫瘍を取らないといけません。
正直、転移元を探す為に色々と検査をするのがツライです。
転移元が分かったら、転移元を手術で除去するのがツライです。
抗がん剤で腫瘍を小さくする治療がツライです。
小さくしたといっても、手術で腫瘍を切除する手術がツライです。
正直、病気の治療はツライことがいっぱいでした。
治療中はマイナスの思考になりますが、病気に勝てば楽しい事がいっぱい待っています。
僕は当時、死んでも良いやって思っていた時期もありましたが、今は愛する妻や子供に恵まれ、死ななくて良かったと本当に心から思っています。
ガンの発見は早い方が良い!
そもそも、僕はどうやってガンと分かったのか。
夜、寝ようと横になった時に、お腹に何かしこりのような物があることに気付きました。
それと同時期に腰痛がひどくなって整形外科でレントゲンを撮ってもらったら、おなかの中に大きくて白くぼやける部分がありました。
すぐに、CTやMRIで精密検査をしました。
すると、14cm×13cmの大きな塊がお腹の中にあることが分かりました。
そこで、医者から「ガンですね。」と宣告されました。
僕は1歳の時に、父親をガンで亡くしていて、顔は写真でしか知りません。
なので、さすがに目の前が真っ暗になりました。
正直、もう手遅れだと思いましたが、家族や彼女(現在の奥さん)の支えもあり、治療へと向かう勇気が出ました。
ガン治療を行うつらさは本人にしか分からない
僕の後腹膜腫瘍は転移によって出来ていました。
数々の検査の結果、転移元は睾丸であることが分かりました。
睾丸を1つ除去する手術をするのですが、子供が出来なくなる可能性は30%と言われました。
そして、その30%に該当してしまいました。
1回目の転移元除去の手術終了時点では、転移先の後腹膜腫瘍が大きすぎて周りの臓器にへばり付き、現在のままでは手術は出来ないと言われ、抗がん剤治療が始まりました。
僕が幸運だったのは、この抗がん剤が効いた事でした。
抗がん剤治療は1ヶ月のサイクルでやって来ます。
1週目は毎日抗がん剤を点滴、2~4週目はお休み。
これが4サイクルありました。
この抗がん剤を投与している間が本当につらく、寝ても覚めても吐き気に襲われる。
テレビで食べ物のCMを観ただけで、吐きました。
倦怠感や食欲不振、ベッドから起き上がることすら苦痛でした。
毎朝、枕の頭髪の抜け毛を見て精神的にやられたので、丸刈りにしました。
そしてなぜか抗がん剤治療中に、胸(肺)が苦しくなり、検査の結果、肺にも転移してました。
結果として、抗がん剤治療を4サイクルする間に、肺の腫瘍は無くなりましたが、お医者さんから「転移しています」と言われた時の絶望感は、言葉では形容しがたいです。
後腹膜腫瘍除去手術
抗がん剤治療を4サイクル行い、ようやく除去手術が出来るようになりました。
全身麻酔のお陰で病室をストレッチャーで出た所からは覚えていませんが、手術時間は7時間半もかかりました。
腫瘍の場所は後腹膜なので、お腹を30cm程切って周囲の臓器を全て出し手術をしました。
もしかしたら、僕はあなたと臓器の配置が違っているかもしれませんw
こんな事を笑い話に出来るのも、今が元気に過ごせているからです。
待ちに待った退院
術後の経過も良く、ようやく退院できるようになりました。
執刀して下さった担当医の先生、毎日明るく話しかけてくれた看護婦の方々、家族に彼女(現在の奥さん)、本当に多くの方々に支えられて、退院の日を迎えることができました。
自分が周りのみんなのお陰で生かされていると実感しました。
しかし退院しても、ガンとの付き合いは続きます。
退院後1週間、2週間、1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、1年・・・。
5年間も、定期的に検査を受ける必要があります。
それでも、死ぬかもしれない恐怖に比べたら、生きている面倒事なんて大したことないです。
そしてようやく完治の宣告を頂けて、現在に至ります。
最後に
病気にはならない方が良いに決まってます。
それでも、なってしまったものは仕方がありません。
僕は病気になって
これまでの人生を見つめ直す事が出来たこと。
これからの人生を諦めたくないこと。
誰かの役に立ちたいこと。
色々と考える機会になり、成長できたと思っています。
今回の記事は、誰かの役に立つものでは無いかもしれませんし、病気を治す治療法が書かれている訳でもありません。
それでも、書かずにはいられなかった。
誰の目にも止まらなくても、ただ書きたかった。
このツライ体験があるから、今の僕がいることを、他の誰でもない僕が文字にして認識したかったのかもしれません。
この胸の内を誰かに聞いて欲しかったのかもしれません。
他にもガンが原因で就職活動や不妊治療でもツライ思いをしました。
それはこの記事の題名から離れてしまうので、別の機会にします。
簡単な内容はプロフィールに書いていますので、良ければお読み下さい。
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日記のような記事になり申し訳ありませんが、読んで頂いた方には感謝を申し上げます。